【あらすじ】
架空都市ユマジュニートに襲いかかる破壊の王・虹竜。仮象の地平を超えて守り抜こうとする美貌の少年少女たち。それは――夢と呪文に幻作された超絶技巧の物語。
日本最大級ネット書店のイーブックオフ
【感想】
@古本市場
黄昏郷と書いて「おうごんきょう」と読みます。
bk1
の商品頁に寄せられている書評から引用させて頂きますが、まさに「多分理解出来ない。もし理解できるのなら、人生を踏み外すだろう」作品です。本当に難解で支離滅裂。否、読み手の私が作品を汲み取り切れていない事が最大の問題ですが、それにしても、著者以外にこの作品を完全に理解出来る方が、この世にいらっしゃるのかどうかに疑問を持ちます。それ位に凄い。(笑)
作品は、5作品編成。洋寄りの和洋+過去と現代、そして仮想近未来の折衷SFファンタジーです。兎に角、これでもか・・・!と言う程に色々なものが詰まったごった煮。中には「太陽にほ○ろ!」のゴリさんネタがあったり、「寄生獣」や「動物のお医者さん」に言及する著者自身がキャラクターとして登場していたり、栗本御大のパクリ的な文章をわざと取り入れていたり(自分で突っ込みを入れつつ)。色々と破天荒な作品です。意識的なオノマトペの連発(作中では著者が突っ込みを入れていたり)や、独特のルビの連発等、野阿先生らしさも全開ですが、兎に角難解が難解を読んで読者を良い感じで苦しめてくれます。とは言え、難解なのにも関わらず食い入るように読んでしまう、妙な中毒性があるから手に負えません。
登場人物は主役のアルンハイムの他、ジョルジュ、男勝りの姫・シャオリーヌ、美貌の王子のナリンがメインキャラクターです。尚、アルンハイムは、「少年サロメ」の1作でも登場しています。作品全体を見渡すと、ジョルジュ(男)→アルンハイム(男)→シャオリーヌ(女)←ナリン(男)の一方通行な恋が展開されたりされなかったりしますが、アルンハイムは、シャオリーヌが絡まない作品においては、ナターシャ(女)、そしてその従兄弟のセディーユ(男)と関係を持ったり(そしてセディーユは、ナターシャと強引に関係を持って癒された過去があったり)、色恋沙汰でも大忙し。読み手もついて行くのに大忙しです。時にはついて行ききれない事もありますが(小声)。
1作目の「雨天 ブルーバードの 飛ぶ」は、完全なスラップスティック(どたばたギャグ)系のSFファンタジーです。四季のコンピューターが管理するまやかしの街・ユマジュニートに絡むメイン4人がパーティーとなり、森の中を彷徨いながら竜に到達するまでの展開は、さながらRPG。何かと艶っぽく男に絡む波乱な人生を送る女主人の館に踏み込んだり、猫が経営する店に入り込んだり、伝説的な存在の竜と対峙をしたり、美貌の王子ナリンが、王国再建の野望に萌えてみたり。そちらこちらでドタバタしまくる4人ですが、4人が連れている鳥の名前が「ミダラ丸」だったり、突っ込み所も満載です。「ネタもの」要素の強いトンチキな話ではありますが、只のトンチキにならずに、シリアスな面を置きながらのトンチキ運びは流石の野阿作品です。シャオリーヌが夢中になるゲームを含め、滑稽なのにブラックな感じのする要素も多く、ごった煮ならではの読み応えがありました。
2作目の「アルンハイムの領土」は、初出が小説JUNE(86年8月号掲載)。1作目とは内容がガラリと変わり、アルンハイムを中心にしたシリアスなストーリーが展開されます。地図の作成も所持も許されない街に入り込んだアルンハイムは逮捕・幽閉される。アルンハイムには街奴(ガイド)の女性・ナターシャがつけられ、二人は関係を持つ。しかしそこに、ナターシャの従兄弟であるセディーユが現れる。セディーユはナターシャの年下の従兄弟でありながら、ナターシャを犯し、その上、ナターシャに癒された過去を持つ。複雑な生い立ちを感じさせるセディーユは、アルンハイムを誘惑。性技に長けた美貌の少年・セディーユにのめり込むアルンハイムだったが、アルンハイムと共に街を抜け出そうと画策していたナターシャを皮切りに、セディーユも喪ってしまった。愛した男女を一時に喪ったアルンハイムは傷心。一人きりで新たな人生を踏み出す。
3作目は表題作の「黄昏郷」。冒頭に「人が夢を見るのではない。人は夢の中で見られるのだ。我々は夢の対象なのである―C・G・J」が添えられていますが、記憶が定かではありませんが(すみません!)、レモン・トロツキーシリーズの作品の中にも、この文面は引用されていた気がします。うろ覚えなので、「もしかしたら引用されていない可能性」もゼロではありませんが、如何せん野阿先生の作品は、再読にはかなりの気力と体力と要するので、今回は割愛させて頂きます。曖昧な記憶のままで申し訳ありません!
そんなこんなもありますが、「黄昏郷」です。先の2作も重要な形で絡み、4人の「一方通行の恋」を伏線的な配置でべったりと本編に張り付かせています。この話から耽美濃度は高まり、「三島由紀夫」と書いて、そのルビは「いけない美学」。こんなにパンチの効いたルビを目にしたのは初めてです。(笑)このルビは女性のシャオリーヌが、若い美少年が全裸で艶かしく寄り添って、死んだように眠っている所を目撃する際に使われるものですが、状況描写でしか登場しない少年達に妙な色気を感じます。18歳以下の男(ガキ)と、筋肉の無い野郎には興味が無かったシャオリーヌにすら妖しい気持ちを抱かせてしまった事は頷けます。
更には、シャオリーヌへの恋を諦める為に向かった先で、愛した男女を同時期に失ったアルンハイムが再び登場。新たな土地に到着した後、失った美少年・セデューユに瓜二つの双子と出逢い、性愛に耽る。エーギュとグラーヴの双子に翻弄される描写が本当に耽美。
「痺れるような触角に、皮膚のすぐ下で油泉が黒くあふれ出すほどの、尽きることのないセクシャリティが彼の理性を奪ったのだ。双子のからだが目まぐるしく入れ替り、アルンハイムは鏡地獄の底で交接しているかのような錯覚に陥った」
この手の描写が続きますが、知覚が病的にゆがむ程と言う表現も凄い。「ランドスケープ・ガーテン」からは、冒頭でも少し触れられていたような、「三島由紀夫=いけない美学」の「サロメ」が絡んできます。「
少年サロメ」ではなく、ワイルドの「サロメ」が。SFでファンタジーでいけない美学が絡むんですよ。1作目での「つがいの竜を討伐してしまった後日談」まで出て来ますから、ごった煮振りはとてつもありません。
「ポケット一杯に偽り」に入る頃には、同性であるアルンハイムに想いを寄せる美少年・ジョルジュ視点の物語も動き出します。そして妻を娶ったナリン王子への片恋に情熱を燃やす、シャオリーヌの激しい執着愛も始まります。4人の一方通行の恋の、恋情面に軸が傾いて来ますが、ここへ来て突然、レモン・トロツキーシリーズの主人公・レモンも脇役で参戦。(笑)
広げられた風呂敷が何処に収拾されるのかが予測できないまま、作中の人間関係や設定、環境は殊更に混戦。
アルンハイムからジョルジュ視点に傾いた所で作品は終焉に向かいます。アルンハイムという強固な幻視力者によって夢見られた夢のなかに、ジョルジュは潜入し、そしてその最も深い底で、ジョルジュはアルンハイムそのものを通路にして、鏡映しにした自分を、もう一度、潜り抜け、幻影都市を裏返してしまう。幻想と空白の土地に翻弄されたジョルジュが、その過去に見切りをつけて歩き続ける所で話は終わりますが、夢の中で夢を見始めて、夢から覚めないままに夢が終わったような気持ちになりますね。捕らえ所が無いままで夢想が傍若無人に走り回っているような感じです。理解が出来ない、困る部分が膨大な量となっていながら、「これはこれで完結しているのだろうな」と思えてしまう、野阿マジック。
ストーリーで読ませるよりも、「感覚で読ませる作品」と言う表現が、この作品には当て嵌まっている気がします。アルンハイムへの想いを昇華・消化する事は出来たものの、想い合って寄り添う所にまでは到らなかった、ジョルジュの心を考えると、ジョルジュが歩き出す為の、「始まりの悲劇」が描かれたであろうと思われるので、曖昧な断定で申し訳ありませんが、個人的には「JUNE枠」の話であると総括したいと思います。理解力不足が祟り、全体の半分も理解をする事が出来てはいませんが、それでも文章を追ってしまう、妙な魅力に溢れていました。
冒頭の書評引用でも取り上げましたが、まさに、「多分理解出来ない。もし理解できるのなら、人生を踏み外すだろう作品」でした。1作目がコメディー系でありながら、最期は完全なシリアスで締められています。後半に向かうに連れて混沌は増し、読み手として「作品を完全な一本に繋げられない」事に苦悩もしますが、作品紹介文にある、「夢と呪文に幻作された超絶技巧の物語」は伊達ではありません。あらゆる意味合いで強烈な一作でした。
ついついうっかりして作品傾向は違いますが、(私は1頁で挫折をしました)小栗虫太郎の「
黒死館殺人事件(長らく絶版でしたが、今年に入って復刊されました)」を一瞬ですが連想しました。こちらは知る人ぞ知る、日本の「三大奇書」の1作ですが、野阿先生の今作も、十分にSF・耽美方面での「奇書」に成り得るのでは?と、こっそり考えていました。私にとっては、それ位に衝撃的な一作となりました。
合掌。
黄昏郷(bk1)
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