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ハスイ

Author:ハスイ
観察点は曲がり気味。そしていつも的外れ。個人の独断と偏見に基づいた「ゆるい」感想ブログです。誤字脱字も多し。耽美・トンキワ本が大好物です。

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↓伝説のマグロ漁師BL。更新が楽しみです!
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殿堂入り作品

竜神沼綺譚 (1985年)

JUNEからの作家デビュー第1号となった榊原姿保美(史保美)のデビュー作。BLとは違った情念の深さが魅力的。「美文を読みたきゃ榊原作品を読め!」と言い切ります。感想はこちら

夏の塩―魚住くんシリーズ〈1〉 (クリスタル文庫)

自分の中でも特別な位置にある作品です。未読の方には「兎に角読んで頂きたい」と自信を持ってお勧め出来るシリーズです。感想はこちら。新装版の感想はこちら

箱の中 (Holly Novels) 檻の外 (Holly Novels)

「魚住くんシリーズ」とは違った意味合いで、「読んで頂きたい」と口に出来る作品です。感想はこちら

鋭利な刃物―Spell.e.s.series (ジーン・ノベルズ) 殺人音楽 (花音ノベルス)

好事家の方にお勧め。苦手な方はドン引きしそうなエログロ全開ですが、ストーリーと主人公の設定にBLの枠を超えた面白さがあります。一般文藝書としても行けそうな骨太の作品です。感想はこちら

背徳のマリア〈上〉 (ピアスノベルズ) 背徳のマリア〈下〉 (ピアスノベルズ)

まさに渾身の一作。登場人物の一人が尋常では無い覚悟を持って性転換を繰り返します。ヘヴィーな作品ですが、そこには数々の重要な重いが張り巡らせられています。 感想はこちら

アレキサンドライト (角川文庫)

「耽美とは何ぞや?」そんな疑問をお持ちの方に挑戦頂きたい一作。両性具有もの。苦手な方にはお辛いかも知れませんが、「多分、これが耽美と言うものなのだろう」と言う事は理解出来ると思います。超絶技巧の耽美作品。感想はこちらから。

熱い罠 (ラヴェンダー・ロマンス・シリーズ)

管理人を爆笑の渦に巻き込んだ本格ゲイポルノ小説。「ポルノグラフィーとブラックユーモアは紙一重」だと言う事が良く判る一作。和訳が冴えています。ホンモノ志向の方にお勧め。感想はこちら

胡蝶の誘惑 アーサーズ・ガーディアン (SHYノベルズ)

2008年度No.1トンチキ作品。桃色パンチな究極のトンチキをお求めのあなたに。感想はこちら

美男の達人 (白泉社花丸文庫)

BL界屈指の長台詞に耐えた時、新しい何かに出逢えるかも知れません。「白骨友の会」がリアル。感想はこちら

同級生 (EDGE COMIX) (EDGE COMIX)

青春ピュア野郎達が眩し過ぎます。”おいろけメガネ”に翻弄されて下さい。感想はこちら


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野菜畑で会うならば野菜畑で会うならば
(2003/09)
佐々木 禎子

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【あらすじ】

みんなの顔が野菜に見える!?「中島梓の小説道場」に投稿されて、大きな反響を呼んだジュネならではの名作が、ついにノベルズで登場!対人関係が苦手な人、ぜひ読んでみて下さい。続編の「雪だるまの休日」(ふくやまけいこ画)おじいちゃんがホモに目覚める!「歩く花」(山田ユギ画)そして、未発表の「UFO銀座で逢いましょう」も収録。書店で見かけたらひっくり返して、カバー裏のイラストも見て下さいね。帯は、中島梓道場主の推薦文です。

日本最大級ネット書店のイーブックオフ

【感想】

オンライン書店ビーケーワン


大分前から探し回っていたのですが、漸く手に取る事が出来ました。

タイトルからは想像が出来ない衝撃的な内容の表題作。齢70を超えたおじいちゃんがホモに目覚めてしまう「歩く花」等、収録作品の密度は濃ゆい。

表題作はBL云々と言う所からは大きく外れている作品ですが、一見の価値はあると思います。

【野菜畑で会うならば】
【雪だるまの休日】

表題作のタイトルを目にした段階では、ギャグやコミカルな作品を連想しましたが、実際にはとても重い内容の作品となりました。

高校2年生の立野宇宙(たかおき)は、自分自身と、ある一定の基準を基準を満たしている人以外の顔が、野菜や果物に見えてしまう。しかも大変な人間嫌いで、孤独を愛している。これは何かに対してのポーズではなく、何かを気取っている訳でもなく、ただの”事実”でしかない。

勿論、生まれた頃から”そう”であった訳ではなく、はっきりとした原因は存在する。宇宙は小学2年生の頃、学芸会の主役に抜擢された。しかし気が小さい宇宙は、自分に主役が務まるのかどうか、悩んでしまう。やめられれば良かったものの、気が小さいあまりに「やめたい」とは言い出せなかった。宇宙の緊張が最高潮に達した学芸会当日、ステージ後ろで震えていた宇宙に、女性教諭は優しい一言で励ました。

「大丈夫よ、宇宙くん。みんなね・・・カボチャかジャガイモだと思えばいいのよ。人間だと思うから、あがっちゃうのよ、ね?」

緊張と心細さに苛まれている宇宙は、先生からの励ましに倣い、懸命に自分に暗示を掛けた。そして直後、宇宙の目に見える世界は変わってしまう。目前に広がる世界に驚き、戦いた宇宙は、絶叫・失神をしてしまう。以降は毎日泣き暮らし、登校拒否にまで至った。

しかしある時、宇宙の自宅を訪ねてくれたクラスメートの一人が「人間」に見えた。そしてそれを機に復学をする。この時宇宙を訪ねてくれたクラスメートは、宇宙が主役を務める予定の演劇で競演をしていた人間だった。その後も、演劇の共演者だけは、宇宙の目に「人間」として映る事が発覚する。身近な両親でさえ人間に見えない宇宙にとっては、不幸中の幸いの出来事になった。

だが、宇宙が中学1年生になった後、そうした仲間たちとの別れがやって来る。宇宙は転校をする事になった。それは宇宙の人生の中で最大の危機ともなったが、その頃の宇宙は「一人りきりで過ごす」と言う生活方針を確立し、乗り越えた。

そして高校2年生になった現在。

「知り合いを食べるような気分になるから」と、野菜と果物は全く食べられなくなった。人間嫌いにも拍車がかかり、自分自身の表情や感情も段々と薄れ、大雑把な性格になってしまっている。宇宙を心配して声を掛けてくれる男の子・千葉(宇宙の目にはジャガイモに見える)にすら、酷い言葉を返してしまう。

そこに一つの契機が訪れる。

数年振りに宇宙の前に、小学校の同級生・阿坂が現れた。同じ高校に転校をして来た阿坂は、宇宙が人間として捉える事が出来る数少ない人物の一人。成長した阿坂に惹かれた宇宙だったが、阿坂の自分への態度が、「自分自身が他の皆に向けているもの(相手を見ないようにして、見ている)と同じ」だと気付く。

自分は人間の顔をしていると思っていたが、他人の目には自分が、野菜や果物として映っていないとは断言出来ない。自分が野菜と果物の国で生きているのだから、自分以外の人間達にも同じ事が起こってもおかしくはない。そう言う考えに至った。

自分以外の人間が野菜や果物に見える事で、「人間である自分は別格」と無意識的に錯覚し、自惚れていた事に気付いた。そして、「放っておいて」と他人を突っぱねながら、それでいて「人間」が恋しいと感じていた自分にも気付く。その上、「他人と関わる事で自分の身勝手さが目立つから、自分の我侭で他人を野菜にしてしまっていたのかも知れない」と悩み、気付けば鏡で見る自分の顔が、以前のような人間ではなく、メロンに変わってしまっていた。

混乱する宇宙に対し、いつも宇宙を気に掛けてくれる千葉は、再び手を差し伸べてくれた。宇宙は初めて他人に心を開くが、帰宅後に母親との会話で激昂し、母親をナイフで傷付けてしまった。

2日後、病院で目を覚ました宇宙の元には、阿坂と千葉が面会に訪れた。宇宙が傷付けてしまった母親は、別の病院に入院をしている事を知らされる。

みんな大嫌いだ――!
みんなが大好きだよ

ラストのこの文面が如何に「効いているか」は、続編の「雪だるまの休日」を読み進めると判ります。

あらすじを並べるだけでは作品の中身が伝わらない、私の文章力の乏しさがもどかしい所ですが、自分の中に残っていた人間の部分である「手」を汚してしまった事、母親を傷付けてしまった事への後悔。「人間が美しい」と言う事を忘れてしまったら、何もかもの美しさを忘れてしまうかも知れない事に怯える様子。自分が壊してしまったものを、壊す前の状態に戻したいとも思う様子。宇宙の中には沢山の後悔と、前向きな心が生まれますが、宇宙が前向きな心を持つ程に、実現をする事への難しさが際立つ。

読んでいて、とてもやるせない気持ちになります。

凶悪で残忍な事件が発生する度に、被疑者の精神状態についての何かが明るみにされる事がありますが、全ての要因を”そこ”に集中させて完結させるだけでは無く、「そこに至ってしまった要因を取り除けなかったのか?」と言う事を考える事も大切だと、ぼんやり考える事があります。育った環境が要因になる事もあるでしょうが、本人の意思とは関係無い部分で病を発生してしまっていた場合、「病を選ぶ事が出来なかった」と言う哀しい部分もある訳で。言わずもがな、とてもデリケートな部分ですよね。考えれば考える程に、一言で片付ける事は難しい要素だと思います。

「雪だるまの休日」は表題作の後日談なのですが、読み終えた後のやるせなさは、表題作以上。

表題作で母親を傷付けてしまった宇宙は、児童支援スクールに通っています。しかし、色々な要素が重なった現在。本来持っていた経験年齢から、後退を起こしてしまっている。その影響もあり、宇宙の一人称で描かれる世界は、表題作よりも幼い雰囲気で展開されます。

表題作で宇宙に傷付けられた母親は、現在では宇宙とは別に暮らしている。実の息子に傷付けられた母親だったが、それでも宇宙を大切に思い、父親と手を取り合い、宇宙を警察や病院とは無関係の生活へ促した。

しかし宇宙本人は、両親が自分を大切に思って促してくれた事を理解しつつも、自分は病院や警察に行くべきでは無いのかと考えている。

高校は休学と言う形を取り、自宅待機で安静を心掛けながら、スクールへ通う宇宙だったが、母を傷付けて以降、夢の中を生きているかのような気がしてならない。時々には意識が無くなり、難しい事を考えたり、大変な状況だと感じると、意識が途切れて、夢の中にバトンタッチをしてしまう形になる。現実と夢の世界の境界が曖昧になり、それに対し、「これで良いのか?」と考え、そして「良くない気がする」と言う自論も持ち合わせている。

だからこそ、自発的に夢の中から現実の世界に向かう為、スクールの先生と会話をし、薦められるままに日記を認める事を始めた。

現実と夢の世界の間、「境界線上」にいるからこそ、病院とも警察とも関係の無い暮らしを続ける。「境界線上」にいるからこそ、「境界線上から外れなければまだ大丈夫」だと、母親からは励まされている。

しかし宇宙は、イチゴにしか見えない母親の顔に傷を付け、包帯が巻かれた顔を目にし、「他人の顔」を発見し直す為の「新たな可能性」に気付いてしまった。表情の見えない野菜や果物の人間には、「「新しく傷を加える」事で、更に新しい表情が生まれる」と言う事に。表情の無い他人の目や鼻や口を発見する為には、相手の顔に、自らが手にしたナイフで傷を刻み付ければ良いとも考えてしまった。そして泣いた。

周囲から見れば、(母親を傷つけた事に対しての)反省と懺悔で泣いているように思われるだろうが、実際には違っていた。自分の中で生まれてしまったものは、「相手に傷を付ければ表情が生まれる」と言う、「新しい可能性」だった。そしてその閃きに陶然として泣いてしまった。

そこで宇宙は、自分がとても怖くなった。

怖い自分に気付いてしまった宇宙は、「(現実の夢の世界の)境界線上から外れなければまだ大丈夫」」と、自分に暗示をかけるように言い聞かせる。

しかし、本当の所は疑っている。

「自分はとっくに境界線上から落ちてしまっているのではないか?」と。

母親が宇宙を守る為に、「自分の中の常識のラインを捻じ曲げてまで」、現実と夢の間に存在する宇宙の境界線を曲げた。本来ラインのある位置より、もっと宇宙の立つ位置寄りに。

どれだけ傷付けられても息子を守ろうとする母親の愛情が切ない。そして、常識を捻じ曲げてまで、母親が自分を守ろうとしている事に気付いている宇宙の心も切ない。

息子が母親を傷付けた。

一見上は犯罪が成立しているものの、その裏側には、「犯罪」の一言では片付けられない複雑なものが沢山存在している。

続編の今作では、自分が犯した罪を知りながらも、病院や警察からは切り離されている事を疑問に思う宇宙が、自分と同じように(理由は違えども)複雑な事情を持ったリストカット少女・美和や、現実と夢の世界の間(夢の中)にいる「雪だるま」との交流を持ち、そんな中でも前向きな心に目覚めます。

自分が生きる世界が怖い、疎ましい、と思いながらも、「生きていってみよう」と考える。寂しくて、辛さも覚えるけれども、それでも生きたいと考え始める。

母親を傷付けた事、周囲の人間が野菜や果物に見える現実は変わらないけれども、美和や雪だるまとの触れ合いで、「誰かが誰かの心を暖かくする事が出来る」と言う事に気付く。一度は死ぬ事さえ考えた宇宙を、この世に止めさせたのは、絆は断ち切るだけではなくて、深める事も可能だと言う事が理解出来たから。

だからと言って、宇宙が置かれた状況は大きく変わる事はありません。この先もきっと、厳しい環境の中で生きて行くのだろうと思います。一見上はとても救いようの無い話に見えるのですが、それでも前向きな心は存在します。どうあっても取り返しのつかない過去を背負ったままに生きる宇宙ですが、過酷な状況にありながらも前向きな心に気付く瞬間が、純粋で儚い。そして切なくて苦しい。

宇宙の心に光明はさしますが、だからと言って、宇宙が生きる状況は大きく変わりません。

身を置く現実は厳しい。

しかし、夢の中で与えられた「大好き」と言う心を、今後の宇宙が、「自分に似た雪だるま」に与える事が出来たら。

それはとても大きな意味を持つのだと思います。

メンタル面での比重も大きく、「物事を多角的に考える」と言う事への重要性も、改めて考えさせられる作品でした。

【歩く花】

表紙を含め、他作品の挿絵はふくやまけいこ先生が担当していらっしゃいますが、こちらの作品のみ、山田ユギ先生の挿絵となっています。

73歳のおじいちゃんがホモに目覚め、息子の嫁にカミングアウトをする話。主軸の部分だけを述べると、とてもコミカルなものが出てきそうですが、73歳にしてホモに開眼したおじいちゃんは、とても男気に溢れています。

奔放な妻を亡くし、その妻の血を色濃く継いだ孫娘とのやりとりもまた、味わい深いものがあります。

家族愛と恋愛の間でおじいちゃんは苦悩をする。好きになった相手にも、自分と同じように大切にしている家族がある。年寄り同士、年寄りなりに、好きだと言う気持ちを解り合っている。その反面、「雁字搦めの鎖になって、相手を縛り付けるものは愛情ではない。それは呪縛である」と、頑なな心も見せる。

だからこそ、相手について行く事はしない。相手を連れて来る事もしない。現在の家族を大切に思うから何処にも行かない。何処にも行けない。恋人と添い遂げる道を選択しない事でこそ、貫く事が可能な愛情もある。

73歳のおじいちゃんが選んだ結末は、とてもストイックで深い恋愛物語。

既に他界しているおじいちゃんの生前の奥さんも、奔放で素敵でした。

おじいちゃんとおばあちゃんは、恋愛ではなくて「家族愛」で繋がっていたのかも知れませんが、あのおばあちゃんが伴侶であったからこそ、「どちらかと言えば同性愛者だった」と言う事に気付いた後のおじいちゃんは、おじいちゃんなりの真剣な判断で、同性との恋愛を完結させる事が出来たのだと思います。

一見、コミカルな展開があっても良さそうなものですが、おじいちゃんの恋愛に関する展開は全編がドシリアス。

添い遂げる事を選択しなかった事で、おじいちゃん達の心は深く繋がりあっている。

そう思える展開は、正真正銘のシルバーJUNE。(否、笑い事では無く)

相変わらず上手に纏めらない事が情けないのですが、この作品も大好きです。

【UFO銀座で逢いましょう】

こちらの作品の一部は、ハルキ・ホラー文庫で「くくり姫」として生まれ変わり、発刊されているようです。「くくり姫」をチェック済みであれば、比較をした感想を述べられるのでしょうが、そちらのチェックはしておりませんので割愛させて頂きます。

それにしてもまあ、表題作と続編は強烈な作品でした。表題作においては、初出が1992年のJUNE。昨今の出来事から考えると、「時代を先取りしていた作品」に思えて仕方がありません。

二次元の世界で展開されている話なのに、イチイチ現実に連れ戻されてしまう。

複雑な内容だからこそ、作品に対しての感慨や、考えさせられる部分は大きいのですが、これから沢山の方が執筆されるであろう「複雑な人間模様と事件を取り扱う作品」が、何年か後に、「あの作品は時代を先取りしていた」と思われる事が、少しでも少なくなれば良いなと思いました。

野菜畑で会うならば(bk1)


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